「湯島の富くじ」「婦系図」をご存知でしょうか。いずれも湯島天満宮にちなんだ歴史的に有名な事柄
と戯曲です。今では天満宮は学問の神様として特に若い方の間では有名ですが、この湯島界隈は
天満宮の門前町として栄えた街で、板倉茶屋要はその一角にあり不忍の池のほとりに接しています。
その昔、江戸初期の頃この辺りは武家屋敷が連なるところで、加賀百万石の前田家の江戸屋敷をはじめ
多くの大名が屋敷を構えたところであり、江戸町奉行、関東代官そして更に京都所司代となった
板倉伊賀守勝重の江戸屋敷もここにありました。「板倉茶屋要」の屋号もこれにちなんだ命名となっております。
時代が下るに従い、次第に商家がこの地に進出しやがて湯島天満宮(当時は湯島神社と呼ばれておりました)
の門前町として繁栄するに至りました。
現在その天満宮境内では恒例の早春の梅まつり、秋の菊まつりが盛大に開かれ、
訪れるの多くの人々をその優雅な香りと美しさで楽しませております。
不忍の池畔では、100有余の桜の樹が春ともなりますと花を咲き競い、五分咲きの風雅さ、
満開の豪華さ、花吹雪となって散る美しさは見事なものです。夏は風にそよぐ柳の枝に涼を感じ、
又薄いピンクの蓮の花を愛で、晩秋の銀杏の樹は黄色に色ずいた葉を散らせてさながら黄金色の絨毯を池畔に
敷き詰めたような美しさを演出してくれます。この静かは趣、余情風韻と申したらよいのでしょうか、
古き良き時代のしっとりとした雰囲気と現代の繁華でモダンな雰囲気の混在してなおよく融和した街、
それがこの湯島です。 |